【ディズニー映画 感想】きつねと猟犬 ~隠れた名作が隠れた名作である理由~

2018年6月24日日曜日

【ディズニー作品】【感想】

t f B! P L
一生親友と呼べるような友達なんていないと思うんですよね。

はい、ということで
今日は『きつねと猟犬(原題:The Fox and the Hound)』について書いてまいりたいと思います!

公開は1981年、
ディズニーの歴史的観点における本作の位置づけとしては
ナインオールドメンの完全なる引退、世代交代の作品といえます。
関わったスタッフの中にはジョンラセターやティムバートンなど
今の映画界を支えるアニメーター達が名を連ねております。



僕自身は多分中学生ぐらいの時に幼馴染の家で
1回見たことがある程度でした。



他のディズニー映画の感想が気になる方はこちら。



さて、このきつねと猟犬、僕の感想としてはですね
「つまらなくはない、よく出来ている、でも楽しくはない」

 という非常にハッキリしない春の陽気のような感想です。

でも僕は春が好きです。
だから良いじゃないか。

あらすじとしては、
とある未亡人に拾われるキツネのトッド。
近所に住む子犬のコッパーと出会い、二人の間に友情が芽生える。
ただ、実はコッパーは猟犬として育てられる立場だった。
季節が変わりやがて立派な猟犬となったコッパーと再会するが・・・

という作品です。

ディズニー作品にしては珍しい「分かりやすいハッピーエンド」にならない作品です。

僕は脚本が非常に良く出来ていると思います。

例えば、まずオープニング。
今回ディズニーの過去作品を振り返ってもおそらく初めて静かにお話が始まります。
BGMが一切ない状態でタイトルが流れ、その後に森の様子が画面に映し出されて
そこから薄らと不穏な音楽が聞こえてくる。

この時点で、「お、なんか今回は今までと違うな」と感じます。

で、子ぎつねを抱きかかえた親きつねが画面端から登場、どうやら何かに追われている。

遠くから犬が吠えている声が聞こえてくる。

そこへ本作品の語り部的な役割を担うフクロウが登場。
フクロウが様子を眺めていると
親きつねが子ぎつねを茂みに隠して、更に逃走。
しかし犬の鳴き声が近づいてくる。
そして親きつねが画面からフェードアウトした瞬間、銃声が数発。

キツネの逃げる様子を心配そうに眺めていたフクロウが銃声に顔を覆い隠し
そしてそのあと、改めてキツネの方に視線をやる。悲しい表情。

本当に上手いなぁと思います。
この数秒のシーンできつねと猟犬の関係性を
セリフ無しで見ている側に示しているわけですね。
 
このあと物語の前半は子きつねとやがて猟犬になる子犬が出会い、
友情をはぐくむ様子を眺めることになるのですが
このオープニングを観客はすでに見ていますからもうわかってるわけです。
やがてこの二人に訪れる宿命に。

そういうわけで物語全体に常にそこはかとない淋しさが付きまとうわけですね。

このblogでは何度か別の表現で書いてきましたが、ディズニー作品はとにかく一貫して言葉で説明せずに描写で魅せて観客の想像の余地を残すという努力を怠らないという脚本の力、これが凄いと思います。

そして前半の最後は互いに「俺たち、永遠に親友だよね」と、互いの友情を確かめ合うのですが
後半に進むにつれて互いに成長していき、
追う側と追われる側としての立場を自覚し、
その葛藤を乗り越えてそれぞれの道を進んでいきます。

子犬のコッパーと子きつねトッド

今までのディズニー作品であれば確実にどっちかがアイデンティティを失い
「追う側とか追われる側とか関係ないさ!僕たち一生友達!神友!うぇーい!」
っていう安易なハッピーエンドが待っていたに違いありませんが
制作側の世代交代の影響もあってか非常に渋いラストシーンを迎えます。

 ラストシーンの余韻は筆舌には尽くしがたいです。

あぁ・・・とため息が出ちゃいます。

というわけでもう100点です! ありがとうございました!

なので、ここから先はじじぃの戯言だと思ってもらえれば良いですが・・・
どうしようもないぐらいの欠点がこの作品にはあります。

二文字で表しましょう。



地味。



地味です!とにかく地味です!短編で良かったと思います。
30分ぐらいに短くまとまってればもう最高!

という感想です。


ハッピーエンドの為にアイデンティティが犠牲になった代表作『わんわん物語』の感想記事はこちらです。


なんせ、タイトルからして地味ですね。

なんなんすか。きつねと猟犬って。

ちゃんと話し合いましたかね?

今の時代に「きつねと猟犬っていう新作が公開されました!」って小耳に挟んだら
一周回って興味沸くレベルです。
・・・・じゃあ良いのか?


それから脇を固めるキャラクター達も地味ですね。

この作品、実はきつねのトッドと猟犬のコッパーの友情の話を軸として
チーフという老犬からコッパーへの世代交代の話というのが存在する。

あとはトッドの友人にあたる鳥のディンキー、ブーマー2羽と
芋虫スクイークが実は追う側、追われる側として全編通して
描かれている。
最終的にスクイークは蝶になり旅立っていくわけですが。


助手席を譲らないチーフ。やがて奪われる。。

ちょっと話それますが、この作品は
全編通して"居場所"の話だと思うんですね。
早い段階で自分の居場所に気づき、運命に従おうとするコッパー。
自分の居場所を理解していながらも その運命に抗おうとするトッド。
自分の居場所にしがみつこうとするチーフ。
新しい居場所へ旅立つスクイーク。など。

なんですけど、なんか地味です。

なんというかカタルシスがないです。

チーフにしてもスクイークにしても、結局何も乗り越えないです。

これはなんならトッドにもないです。

トッドにないのは何故か?

そう、これが最後に触れたかった“出てくる人間”がクズ過ぎる問題です。

きつねのトッドは未亡人のトゥイード婆さんに拾われるわけですが
この婆さん一見して気のいい婆さんに見えますが
散々トッドを甘やかすだけ甘やかした挙句、
育てきれなくなって野に放つわけです。


トッドが外来種だったら逮捕です。


こういう婆さんに育てられたせいでトッドはいつまで経っても
「親友」だとかぬるいこと言うわけですね。

大人になってトッドとコッパーが再会したときに
トッドがそんなこと言うもんだからコッパーもドン引きします。

つまりトッドはいつまでも未熟なまま、大人になるわけです。
そして野に放たれて恋人ビクシーと出会い、ようやくキツネとしての自覚が芽生えてくるわけですが。。

この後ひと悶着あって老犬チーフが大けが。
それにブチ切れるのが飼い主のエイモス。

そこから異常な執着心でエイモスがトッドを狩ろうとすることで
トゥイード夫人は野に放つ決心をするわけですが。。
いや、お前らもうちょいコミュニケーション取れやと。。
隣家のペットを狩る狩らないで揉めるとか、
ご近所トラブルのスケールが物騒すぎるだろと突っ込まずにはいられないです。

この作品は見方を変えると
人間同士の身勝手なご近所トラブルに巻き込まれた可哀そうな動物たちの物語ともいえるわけですね。

銃の撃ち合いになるご近所トラブル


と、まぁやいのやいの言いましたが
個人的にはラストシーンで100点満点です。


だから、良いんです!!

隠れた名作という言葉はあまり好きじゃないですが
この作品はタイトルの知名度と反比例する内容の良さがあります。
ぜひ一度鑑賞してみてはいかがでしょうか!


というわけで今回も楽曲を。 『Best of Friends』です。
ダメだ泣けてくる。。


そして次回はこの作品です!


以上終了また次回。

自己紹介

ITベンキャー勤務のエンジニア兼営業。モテたい。

更新頻度

月2回くらい不定期更新blog

QooQ