【雑談】リア充の定義について考える

2016年1月24日日曜日

雑談

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突然ですが皆さんの周りにはリア充っていますか?
もう何年も前から一般的に使われるようになったこの「リア充」という言葉。
でも、リア充の定義って実は曖昧で人それぞれなんですよね。

なうえで僕なりの定義というのがありまして、今日はそれについて語りたいなと思います。







まず一般的にはどうなのか?というところから探っていきたいと思いますが。

ネットとかでよく見かけるのは○○をしていたらリア充という考え方です。
その人の行動や生活、プロフィールなどから判断する考え方ですね。


例えば
彼女がいたらリア充、
BBQをしていたらリア充、
合コンしていたらリア充、
イケメンだったらリア充、

みたいなね。



僕の考え方は違います。
こんな薄っぺらい定義ではなんだかんだ国民総リア充です。




では、結論からいきましょう。
僕が思うリア充とはずばり



巨人ファンです。



どういうことか。





まず巨人ファンになる人はどんな人なのか?

僕はこの人たちのことを
"強いチームを応援できちゃう人"と定義します。
(親の影響や地元の関係などの理由でファンになった人は省きます。)


強いチームを応援する。
僕には正直その心理が分かりません。
強いチームは応援しなくても勝つではないですか。



僕はちなみに阪神ファンですが、これはなぜならば僕が野球を見るようになった当時、
阪神タイガースは4年連続最下位という最弱のチームだったからです。


応援のし甲斐があるのはどう考えても阪神のような弱いチームだと僕は思うんですよ。


万年ビリのチームが強豪に勝つ瞬間に最高のカタルシスを味わえるのだと思うのですよ。
弱者が強者に勝つという物語にこそ熱く燃えることができるのではないですか。


にも関わらず、巨人が勝つと喜べる彼らは一体何者なのか?(おばかなのか?)



僕は考えました。



そして一つの解に行き着きました。




彼らはずばり、
前述したような"弱者が強者に勝つという物語を知らない"人たちなのではないか?と。



逆説的にはこの物語に燃えることが出来るのはなぜならばそいつ自身が属する何かしらのコミュニティにおいて弱者だから、弱者に共感ができるから、燃えられるのだと思うのです。



そう考えると巨人ファンはどのコミュニティにおいても"弱者側になったことが無い人たち"、
だといえるのではないかと。


そして、それこそが真のリア充だと思ったのです!!!!(どん!)


さて、↑で言うような弱者側になったことがない人たち、すなわちリア充たちを
僕は基本的には良い奴だと思ってます。



そもそも弱者、というのは人の"力"を意識した時に顕在化するものだと思っていて、
弱者になったことがない人たちはそんなことに興味がないんだと僕は思うのです。


自分が一番目立っていないとか自分が一番冴えないとかそんなことに興味が無く、
今この場この瞬間が楽しければそれで良い。

そういう連中だと思うのです。
非リア充というのは常に力を意識していると思います。
今自分がいるこの場所において自分は下から数えた方が早いとか、
そういうこと考えて勝手に劣等感を覚える存在・・・・。



僕はそんなことを思うのです。
以上、とりとめのない話でした。

※巨人ファンで気分を害された方々大変申し訳ありません(今年は阪神が優勝します。)

自己紹介

ITベンキャー勤務のエンジニア兼営業。モテたい。

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