【ディズニー映画 感想】美女と野獣 ~ディズニー映画の楽しみ方とは~

2020年10月4日日曜日

【ディズニー作品】【感想】

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本日は1991年公開『美女と野獣』について書いていこうと思います!!!
原題は『Beauty and the Beast』、
アニメ史上初のアカデミー賞作品賞ノミネート、
そして作曲賞、歌曲賞の受賞という快挙を遂げ、
まさにディズニールネサンスを決定づけた作品といっていいでしょう。

また、その作風からディズニー映画=ミュージカル映画という印象を
決定的にした作品がこの『美女と野獣』だと思います。



この作品は皆さんと同じようにかなりの回数見てまして、
家でダビングとかではなく正規のVHS製品を購入してもらった記憶があります。

あとスーファミのゲームソフトをやりまくった記憶があります。

ベルが投げる雪玉をうまくキャッチできないと
野獣が死ぬというとてつもなく猟奇的なゲームだったと記憶しています。
命がけの雪合戦が楽しめる画期的な作品でした。


他のディズニー映画の感想が気になる方はこちら。



さて、本作のあらすじとしては
とある城の王子が魔女に魔法をかけられ野獣になっちゃって、
魔法を解く為には「真実の愛」を見つけなければならないということで
必死こいて町の娘ベルを誘拐し自分に惚れさせるために
あの手この手するけど、町一番のハンサム男ガストンが恋敵として現れ、
ベルの争奪戦にもつれ込む話。

というと語弊がありますのでちゃんとしたあらすじはGoogleで調べてください。

というわけで感想を書いていきたいのですが、
私、正直に申し上げさせていただきます。

この作品、人気過ぎてこっから先も感想を真面目に書くことに対して
モチベーション上がりません。

多分1億個ぐらいのblogで「美女と野獣最高!!」って
称賛されていると思うのです。

そこまで来ると弱小なこのblogに褒められたところで
ベルも野獣も嬉しくもなんともないでしょう。
唯一僕が褒めても喜んでくれそうなル・フウを
称賛する記事にでもしようかと思いましたが
流石にル・フウで1記事書ききるのは無理がありました。
ル・フウごめん。

キングオブ腰巾着のル・フウ。

なので今回私は『美女と野獣』を褒めずに感想を書きたいと思います。
本作品を称賛するような記事を読んで共感に浸りたい方はUターンしてください。

敢えてひねくれ者のおこりんぼみたいな気持ちになって作品を見たときに
浮かんできた感想は大きく以下3つです。


これ、全体的に音楽の良さじゃね?





・・・・





ガストン、終始気ぃ狂ってね?





・・・・





それの何が悪いの?


以上でした。
それでは掘り下げていきたいと思います。

美女と野獣から学べることは何か?


美女と野獣の一般的に認知されているテーマは
"真実の愛とは何か"ということだと思います。

これは過去のディズニー映画の特にプリンセス作品全般に言えることかもしれません。

そして美女と野獣が過去のディズニー作品群よりも踏み込んだ点が
"見た目で人を判断してはいけない"、といった美醜へのアプローチがあること。

シンデレラの感想で僕が触れた「お前ら結局顔やんけ」
に対するアンサー作品だといえます。

なんだけど、冒頭で僕が浮かんできた感想として挙げさせていただいた点が
この美女と野獣の教訓をかなり薄くしているのではないか?
と思うのです。


音楽が良すぎる問題

ここまで何本かに渡ってずっと書いてきましたが
ディズニールネサンスを巻き起こした最大の要因は
ミュージカル要素を強烈に押し出したことだと思います。

リトルマーメイドの成功とビアンカの大冒険オーストラリア編の失敗により、
もうそっちに舵切ることがほぼ決定的になったのではないかと思われます。

リトルマーメイドはセバスチャンが宮廷音楽家であるという設定が
ミュージカルを自然な成り行きにするギリギリの線引きをしていましたが、
美女と野獣はそういったこだわりも、もう完全に振り切ってミュージカル映画にしました。

オープニングの『朝の風景』の場面で街ゆく人たちが
当たり前のように歌いだす光景はその象徴といえるかと思います。

めっちゃ歌うこの人たち

それ自体を良いとか悪いとか論じるつもりもなく、
ただ単純に、これだけ音楽の力で圧倒させようとしている作品だということです。

もうこれは決めつけですし、偏見でしかないですが、
美女と野獣にうっとりしてる方々ほぼ全員が
真実の愛とか人は見た目じゃないとか、
そんなことはどうでもいいと思ってます。

代表曲の『Beauty and The Beast』聞いてるだけで
なんかロマンティックな気持ちになっちゃいますもん。

真実の愛?何それ?
ちょっと今良い曲聞いてるから静かにしてもらっていい?
って皆思ってるのではないでしょうか。

てか、野獣もベルを口説き落とすためにポット婦人に
こんな曲歌わせてムード作りしてますからね。
中身で勝負してねぇじゃねぇかっていう。笑

歌でムードを高めて鼻の下を伸ばす野獣


ガストンという異質なヴィラン


ガストンは普通の人間であり
魔女とか魔法使いとかが多いディズニーヴィランにおいて、
その時点で中々に特殊なキャラだと思います。
また、普通の人間のヴィランはそれなりにいますが、
彼らには明確な"悪意"があります。
一方でガストンにはあまり"悪意"を感じませんでした。

101匹わんちゃんのクルエラ、
おしゃれキャットのエドガー、
ビアンカの大冒険のメデューサ、
オリバーのサイクス、

など、ですが、彼らの共通点は概ね金もうけの為に悪いことをして
自分の欲望を満たそうとします。
その行為が「真実の愛の否定」になっている為、
彼らを打ち負かすことが真実の愛の証明となるような構造になっているかと思います。

その点、ガストンの行動原理は
"ベルを自分のものにしたい"という欲望であり、
それ自体はめちゃくちゃ身勝手で図々しいものですが
悪意があったわけではない。

だからガストンってめっちゃ怖いです。

冷静に彼の様子を見ていると
過去のヴィランと比べてもちょっと頭おかしいとしか思えないです。
モーリスを精神病院にぶち込む前に
あなたが診療受けたほうが良いよって思います。

狂人ガストン

もう少しだけ真面目にガストンについて考察させてください。

ガストンを見ていると思い出すのはヤンキー漫画の金字塔
『ろくでなしBLUES』の葛西です。
葛西は池袋の番長であり、東京四天王の中でも最強という呼び声の高い存在ですが
彼の行動原理は"仲間を失うことへの怖さ"でした。
最強で居続けないと仲間が離れていくのではないか?という怖さから
彼は回遊魚のように止まれなくなりました。
強いやつを倒し続けなければならなくなってしまったのです。

ガストンも実はそういう怖さがあったのではないでしょうか。
彼は町一番のハンサムでマッチョ、狩猟の腕もぴか一で酒場では
皆から無条件に『強いぞ、ガストン』と歌われるような存在です。
そんなガストンが街の変わり者の小娘ベルのハートを
射止められないわけがない。
そんな空気が町中に立ち込めていたことで
彼は引くに引けなくなったのではないでしょうか。

そして、中々振り向いてくれないベルの態度に
ヤキモキしているなかで野獣の存在に気づきます。
そこで野獣を倒して一発逆転を狙いますが
敢え無く撃沈してしまう。

ろくでなしBLUESの葛西は、最終的に前田大尊に喧嘩で敗北しますが、
それでも自分を慕い続けてくれた仲間たちの存在に気づき、
止まることが出来ました。

強さとは弱さを認めることだと学ぶことが出来たのです。

一方でガストンはその機会を得ることが出来ませんでした。

ていうか、ガストンが野獣に敗れる頃には、
舎弟No.1のル・フウを筆頭に味方全員城から逃亡しています。

ガストンは仲間に恵まれなかったのだと思います。

一方で彼が普通の人間であり、明らかに頭おかしい感じなのにも関わらず
ヴィランとしてそこそこ人気があるのは
「そこはかとない哀愁の漂う人間くささ」に
我々がなんとなく惹かれてしまうから、なのかもしれません。

葛西。まさかディズニー映画の感想で登場するとは。


ディズニー映画の楽しみ方とは何か


というわけで僕が直感的に思う『美女と野獣』の感想、
・音楽の力でねじ伏せてきてるやんけ
・ガストン、頭おかしいやんけ
を、深堀してみました。

改めて思うこととしては
ディズニー映画から「真実の愛」とか「人は見た目じゃない」とか
教訓めいたことを学ぼうとすること自体が
観客側の立場としておこがましいのではないか?
と僕は思ってしまいます。

『わんわん物語』のトランプを思い出してくださいよ。
彼のアイデンティティーの捨て具合の潔さ半端ないですよ。

ディズニー映画って
教訓とかどうでも良いよ、それよりも家族とか友達、恋人同士で楽しめて
「あー楽しかった、じゃあ次何しよっか?
カラオケでフリータイムでも行こうかーうぇーい、
オールだオールだーうぇーい、びーあげーすとびーあげーすと♪ひゃっほー」

で良くね?

っていうスタンスの会社なんじゃないかと僕は思ってるんですよね。

Be our guestだ、うぇーいw

だから、この作品の肯定派が語るような
真実の愛が学べるとかどうとか、
逆に否定派が語るような
いや、真実の愛は学べないとかどうとか

そういう議論って見当はずれだと思うんです。

ディズニーというブランドが巨大になりすぎて
観客がそれを求めてくるようになったことで
なんか教訓めいたことを作品に込めなくてはならなくなった。

まるでガストンみたいな状態になっちゃってます。

そんな状況を見るに僕は
あっさり飼い犬に成り下がったトランプの立場、
考えろや!!!!

って思います。



ガストンと葛西の明暗を分けた存在は、
周囲の差でした。

ディズニー映画の明暗を分けるのも我々観客側なのかもしれません。

と、それっぽいことを物凄く軽いノリで書き上げたところで
本作の感想を終わりたいと思います。笑


最後に、1曲。
『強いぞ、ガストン』にさせていただきます。


そして次回はこの作品です!



以上終了また次回。

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